国鉄末期の黒字線

      2016/03/21

 現在のJRグループとして民営化される以前の、全国鉄道網を管理運営する公社であった日本国有鉄道は、その末期は経営状況が非常に厳しく最終的に長期赤字が25兆円超という巨額のものとなっていた。

 東海道新幹線開業後の国内交通はモータリゼーションと飛行機輸送の一般化が始まった頃で、交通機関のシェア争いが激化していたにもかかわらず、政府は新設した鉄建公団で全総等で計画した路線の建設を強行した。昭和40年代から深刻な赤字が顕在化し、その解消が不能となり始めた。打開策として、極端な不採算路線を廃止を前提とした赤字83線、特定地方交通線に指定して順次廃止し、更に不採算となり始めていた貨物事業を大幅に削減しはじめたが、旧態依然とした労働環境や、強力な労働組合の存在、新線開業に対する政治的圧力などが重く、抜本的解消には程遠い状態だった。

 国鉄末期は最終的に黒字路線は10線程度という状態で、折からの国鉄職員を中心とした労働組合の反社会的ともいえる活動などとも相俟って国鉄分割民営化への道を国民的コンセンサスを得るに十分な理由づけを与えることとなった。

 この項では国鉄末期の昭和54年度の数字を元に、営業収支係数が100以下(=黒字)だった路線を取り上げる。東海道山陽新幹線を独立した1路線(当時は独立線ではなく東海道本線及び山陽本線の別線扱いだったため建前上は1路線とは数えなかった)と数えても8線しかない。

 

 黒字8線

1.山手線 収支係数48 品川~田端、池袋~赤羽

山手線は、当時支線である赤羽線(池袋~赤羽)を一括して収支を計算していたため、これも算入されている。また環状線としての実質路線である田端~東京間は東北本線へ、東京~品川間は東海道本線へ参入されている。

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山手線103系

赤羽線103系

赤羽線103系

2.東海道山陽新幹線 収支係数57  東京~新大阪~博多

東海道・山陽新幹線は最末期には折からの景気回復にも支えられて山手線並みの収支係数48で民営化を迎えている。なお、国鉄時代は収支係数算出時は東海道、山陽の両新幹線は一線として数字算出が行われていた。

0系

0系

100系

100系

100系は最末期の85年に投入。折からの好景気から豪華な装備で登場し、2階建て4両で食堂車2両、コンパートメントグリーン車などを含む編成があった。

3.高崎線 収支係数78 大宮~高崎

高崎線は急速な埼玉県のベッドタウン化によって旺盛な通勤需要があり、且つ上越、信越、北陸方面へ直通する大量に運行されていた優等列車の通り道であったため好調な収支へつながった。

183系1000番台

183系1000番台

489系

489系

185系200番台

185系200番台

185系200番台は国鉄末期に東北高崎方面の比較的短距離の優等列車を整理する役目を負って登場した。

EF58 20系

EF58 20系

165系

165系

115系

115系

 

4.総武本線 収支係数83 東京~千葉~佐倉~成東~銚子、錦糸町~御茶ノ水

高崎線同様の理由で千葉付近以西の東京方面への大量輸送需要と、房総各方面への優等列車の通り道として機能した。

183系

183系

183系は東京駅地下化に伴って登場した貫通扉を装備した新型特急電車。

165系

165系

165系は153系のような全面オレンジ色の塗色も見られた。

キハ58系

キハ58系

総武本線では、比較的末期まで千葉管内では気動車による運行が行われていた。

113系

113系

通常快速運用に使用されていた113系だが、急行うち房などの運転も存在した。

103系

103系

 

5.根岸線 収支係数86 横浜~大船

開業当初から京浜東北線及び横浜線と一体的に運用されており、都市部にある単独路線として大きな黒字が計上されていた。

103系

103系

 

6.大阪環状線 収支係数89 大阪~福島~西九条~今宮~天王寺~大阪

山手線同様大阪都市部を循環する環状線は恒常的な大量輸送が見込めた。他の路線が阪和線を除くと比較的長大路線であったため、大阪付近では収支を単独で黒字を維持できる唯一の路線だった。

103系

103系

 

7.横浜線 収支係数99 東神奈川~八王子

103系

103系

1035

横浜線の特徴は、乗り間違え防止のための大きなヘッドマークと頻繁に運用されていた混色編成の存在だった。右の写真のように極端な場合は3色混色なども運転された。

8.中央本線 収支係数100 東京~御茶ノ水~代々木~新宿~高尾~岡谷~辰野~塩尻~中津川~金山~名古屋、岡谷~みどり湖~塩尻

在来線幹線では唯一の恒常的黒字路線だった。東海道本線のように新幹線に高付加価値顧客が流れることがなく、且つ起終点のどちらにも膨大な顧客を抱え、更に東西どちらからも大量の長距離輸送客が得られていることによって黒字を恒常的に達成できた。

381系

381系

中央西線は日本で初めて振り子式特急電車が運用された線区。
183系183系

165系165系165系パノラマエクスプレスアルプス 営団5000系(東西線直通緩行線)

165系パノラマエクスプレスアルプス 営団5000系(東西線直通緩行線)

165系パノラマエクスプレスアルプスは国鉄分割民営化直前の87年3月にデビューした。写真はデビュー時のもの。

右から70系、12系(急行ちくま)、キハ20系(関西本線)

右から70系、12系(急行ちくま)、キハ20系(関西本線)

201系緩行線(カナリアイエロー)、快速線(オレンジバーミリオン)201系緩行線(カナリアイエロー)、快速線(オレンジバーミリオン)

103系快速線、103系1200番台東西線直通緩行線

103系快速線、103系1200番台東西線直通緩行線

123系123系 123系はみどり湖短絡線開業後実質的に単独線区となった辰野~塩尻間輸送のために投入された元郵便車。写真はデビュー当時の国鉄オリジナル色。

 


 

 付・最末期黒字3線

以降は昭和54年度時点では赤字だったが、廃止までの間に収支が改善されて黒字となっていった路線である。

9.南武線 収支係数105 川崎~立川、尻手~浜川崎

横浜線と同様、神奈川県の人口密集地帯を単独で走る路線のため、収支が良かった。

1037103系

南武線103系は総武線同様カナリアイエローが基本だったが写真のような混色も頻繁に見られた。

72172系

72系は末期の78年まで南武線では現役だった。

1011南武支線101系

JR化後2005年まで東日本地区で101系による運用が最後まで残った線区。

10.東北本線 収支係数106 東京~上野~大宮~仙台~青森、日暮里~尾久~赤羽、赤羽~武蔵浦和~大宮、岩切~利府

東北本線は、実質的な路線で言うと東京~上野間の山手線及び京浜東北線の路線、上野~王子~赤羽~南浦和~大宮間の京浜東北線、上野~尾久~赤羽~大宮間の高崎線直通を含めた黒磯までの直流区間を走る東北本線中距離電車、上野から北上する昼行夜行の優等列車、黒磯以北の交流区間を走る優等列車を含む各種列車、赤羽~武蔵浦和~大宮間の別線である通称・埼京線、仙台~利府の旧線を利用した支線、及び各支線から乗り入れて仙台、盛岡等ターミナル駅を目指す列車を指す。なお上野~青森間の本線上を走行する中距離緩行列車は、当時は現在のように運転系統が主要駅で分けられていたわけでは無く比較的長距離を走る列車もしばしば運転された。

東京付近に大きな通勤需要が存在し、且つ新幹線開業前は日本では最大級の在来線長距離顧客の需要路線であったため収支を良好に保てた。しかし新幹線開業後は路線全体での収支は低下した。

4851485系

5831583系

20120系

4511451系

451系は当時多数運転されていた黒磯以降へ向かう急行列車に多用されていた。

1655165系

4171417系

417系は福島、仙台付近を中心に交直流区間全般で運用。

EF751ED75 50系

ED751ED75 スハフ42形等旧客

1153115系

1038103系 京浜東北線

1039103系 埼京線

写真は開業当時の記念ヘッドマーク付き。

11.常磐線 収支係数107 日暮里~岩沼

常磐線の東京近郊付近は、実質的に3つの運転系統に分かれている。優等列車を含む中距離電車、我孫子及び成田線へ直通する常磐快速線(いわゆる国電区間の近郊列車)、綾瀬から千代田線へ直通する常磐緩行線の列車の3つで、これらは我孫子までの区間でそれぞれ停車駅が違い、沿線に住む乗客にとっていわゆる綾瀬問題に代表されるような乗車混乱の状態を引き起こしていた。

この路線も総武線、高崎線、東北線、中央線同様の理由によって収支を良好に保つことができた。東海道を除くいわゆる国鉄五方面作戦の全方面でほぼ黒字の状態で民営化を迎えることができている。

4852485系

ボンネットヒゲ面はひたちの代名詞だった。JR化後の485系運用最終盤まで運用された。

EF801EF80

24-24124系24形

5832583系

4512451系

kiha582キハ58系

451系、キハ58系いずれも急行ときわの運用だが、水郡線直通の多層階列車はキハ58系運用が比較的末期まで残された。

4012401系

85年に筑波で開催された科学万博臨時輸送用ヘッドマーク付き。科学万博輸送には大量に余剰車が投入され、通常は使用されない12系客車、キハ58系、583系、はては名古屋の581系まで投入された。10311左103系1000番台、右103系

常磐快速線の基本は103系、常磐緩行線は営団6000系と103系1000番台だった。また常磐線までは乗り入れないが、綾瀬まで乗り入れた小田急は8000系が主に使用されていた。

60002営団6000系

 

以上

 

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