WRCの年間王者

      2016/03/20

 1977年

 全11戦

 ポイントシステム:優勝18ポイント、2位17ポイント、以下1ポイントずつ逓減され10位9ポイントまでが入賞。ただし、同グループ内で2位以下だった場合、更に1ポイントずつ逓減される。(例:総合5位且つグループ3位だった場合12ポイント。総合10位グループ10位の場合1ポイント)

 当年に起きたランチァ内部での問題により、ランチァはWRC活動どころではなくなった。タイトル争いは、前年デビューの名車131アバルトを駆るフィアットと、こちらも名車と言えるエスコートRS1800のフォードの一騎打ちとなり、最終的にフィアットがタイトルを取った。

 ランチァの問題は、折からのストラトスのマーケティングの不調に加えて、生産工場の火事による損害による製造中の大量のストラトスが失われるという事態が起こり、親会社であるフィアットは特殊仕様の車両から一般仕様車の改造によるラリーカーの製造へと方針を転換した。これを受け、ランチァGMで開発者であるピエールゴ・ゴッバートを解任、ランチァワークスチームの前身であるHFスクアドラ・コルセの創設者でチーム責任者のチェザーレ・フィオリオのフィアットへ移籍させ、更にエンジニアのマイク・パークスの死去という事態まで起こり、ランチァワークスはほぼ解体状態となった。熟成度7割のストラトスは後5年は王座に君臨できた、とのゴッバートの言葉を残し、ストラトスは悲劇的な結末でWRCから去った。

 ドライバーズタイトル

WRCとしてのドライバーズタイトルは設定されていないが、当年からFIAがWRC11戦に加えてWRCシリーズ以外のラリーレース10戦に対してポイントを設定し、ドライバー個人にポイントを与えるFIAカップが設定された。

サンドロ・ムナーリ 31ポイント

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 初戦のモンテカルロに三戦連続で優勝したストラトスドライバーの代名詞とも言える初期のラリイストとしてイタリアの英雄であるサンドロ・ムナーリがWRC以外のサン・マルティーノ・ディ・カストロッツァと南アフリカラリーでの優勝ポイントを重ね初代FIAカップを獲得した。サンドロ・ムナーリは、もし初期WRCにドライバーズタイトルがあれば、74年と76年はタイトルを取っていた。

 メイクスタイトル

フィアット

ポイント数 136
優勝回数 5
表彰台回数 12

車両

フィアット 131アバルトラリー

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ランチァに代わってアリタリアカラーを背負った131アバルトは、オーソドックスな箱型マシンだったが当時としては珍しい4キャブDOHC2リッターエンジンを搭載、FRP一体化ボディに124から流用したりアサスがハマり、ストラトス以上のパフォーマンスを見せることになった。

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